論点

第1回 太陽とともに起き眠る 2006.1.16

第2回 防犯の地域力は人間関係の中に 2006.2.13

第3回 マネーゲームには無縁の農業 2006.3.20

第4回 平成の農政大改革への危惧 2006.4.24

第5回 感謝して命をいただく 2006.5.22

第6回 農の風景「棚田」を守る 2006.6.19

第7回 食料輸入超大国の行方は 2006.7.24

第8回 二度と戦争を繰り返さない 2006.8.28

第9回 田舎暮らしブームに思う 2006.10.2

第10回 唱歌「故郷」の豊かな世界 2006.10.30

 今は十月、南九州の田園は黄金色に一面輝いている。この美しく充実した景観を眺めていると、昭和二十年代の小学生のころ教わった文部省唱歌「故郷」を思い出す。その後、昭和四十年代はじめの大学院生のころ、私の恩師がコンパの最後に皆を指揮して必ず歌ったのも、唱歌「故郷」であった。
♪ 一兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川 ♪
 この歌は、もちろんシンプルなメロディーも良いが、歌詞が何よりも胸を打つ。水清く山青く、野にも川にもたくさんの生きものたちがすんでいた故郷。その恵まれた豊かな故郷の自然環境の中で、幼いころ思い切り遊んだこと。さらにはお世話になった父母や懐かしき友だちなど、故郷の人々への思いを寄せ、いずれは故郷へ帰りたいと歌い上げている。自然の美しさだけではなく、そこに暮らす人々の思いにも触れ、故郷の自然と人間のハーモニーを歌い上げた見事な歌である。
 しかしながら昭和五十年代に入ると、私はぷっつりとこの歌を歌わなくなってしまった。それはこの歌の中に描かれている自然と人の情景は、すでにわが国の田園には残っていないと感じたからだ。高度経済成長を成し遂げた現代の日本では、もうはるか遠い昔のことであり、歌うほどにむなしくなるのだ。
 確かに今も緑に囲まれた田園は見た目には美しいかもしれない。だがすでに水は汚れ、生きものはいなくなった田園である。かつて日本の田園を舞った美しいトキも大きなコウノトリも、野生では絶滅した。但馬地方の人々は、絶滅寸前のコウノトリを保護し増殖して、現在、約百羽余を保護増殖センターで飼育している。
 但馬地方の人々はこのコウノトリたちを野生に帰し、いま一度大空に羽ばたかせたいと願っている。だが自然界に放しても、田園には好物の魚介類などの食べものはなく、コウノトリが安心して暮らせる環境ではないことに気付き悩んでいる。それでも地域の住民は一丸となって無農薬の合鴨農法を導入するなど、田園の環境復元に努め、昨秋には、コウノトリの野生放鳥を初めて試みた。今年に入り、二度目の放鳥を行ったが、コウノトリは未だ完全には野生化できず、試行錯誤を繰り返している。最近、食べものの安全性に関連して、特に残留農薬等の問題に消費者の目が向けられているが、本来、安全な本物の食べものとは、トキやコウノトリが舞い、唱歌「故郷」のような、自然界の生きものたちが多様にすむ、豊かな自然環境の中で、その命の循環として生産されたものではないのだろうか。私が合鴨農法を始めた究極の目的は、農薬を使わない稲作農法によって、もう一度、日本の田園に、小鮒やドジョウやトンボなどの、たくさんの生き物たちが帰ってくる風景を取り戻したいことにあった。川に入って遊ぶ子供たち、川や池の土手で釣りをする少年、赤トンボを追う子供、里山でドングリを拾う子どもたちの姿を、再び見たいと願っている。だが農薬を使わない合鴨農法を行う農家は地域ではまだ点の存在にしかすぎず、地域まるごとで無農薬農法を実現しない限りは、実際には自然は戻ってこないのである。
 失ったものは自然だけではない。家族を思い、友を思う心は、何処へ行ったのか。他人を思い、地域を思い、結いの心で支えられた美しき日本人の共同体社会は何処へ消えたのだろうか。圧倒的支持を得て誕生した安倍政権は、「美しい国、日本」をキャッチフレーズに掲げた。「美しい国」とは何か。安倍首相は、それはこの国の伝統文化であり、四季折々の景色と人々の心情だというが、これらは農業の中で培われた文化でもある。少なくとも唱歌「故郷」のような、豊かな自然と人々の心情に彩られた世界が、「美しい国」の姿の一つではないだろうか。その意味で、今日の荒廃する農業・農村の再生政策は欠かせないはずだが、残念ながら新首相は小泉さん以上に農業・農村には関心が薄いようだ。
 私の住む竹子地区のある飲み方の席上、唱歌「故郷」への私の思いを話したところ、その夜の宴の締めは、皆で唱歌「故郷」を三番まで歌おうということになった。歌いながら涙を流すお年寄りの姿を見て、この歌をもう一度歌い続けようと、その時心に固く決めた。私の名刺の冒頭にも、〃唱歌「故郷」をめざして〃と明記した。

第11回 高校・大学教育をゆがめるもの 2006.12.4