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追悼ー陣内義人先生からのラブレター

 常日頃から鹿児島大学農学部をリードする立場にあるはずの農経関係講座が弱体化していることを心配する私にとって、陣内義人先生の佐賀大学からの鹿大への赴任は、私にとって期待に満ち溢れていました。何故なら九州農文協で活躍する陣内先生の姿をみて、私は密かに尊敬していたからです。

 赴任後の陣内先生の活躍は期待通りであり、それまで学生教育に不熱心で活力のない農経済関係講座の教育に活を入れられました。研究面においても論文、執筆活動に精力的に取り組まれ、周りの教官スタッフを大いに刺激したものでした。

 私にとって陣内先生は、遠慮なく本音で物を言える唯一の先生でした。陣内先生もまた私に対しては、いつも本音で接してこられました。思いつかれると、陣内先生からメモ書きがよく届いたものでした。学内運営のこと、農業に関すること、九州農文協に関することなど、矢継ぎ早にメモ書きが届きました。私はこのメモ書きに「陣内ラブレター」と名付け、メモ書きが届く度に、女房にも「また陣内ラブレターだよ」と言って笑ったものですが、ラブレターですから、何らかの返事を出さなければならず、正直なところ忙しい身の私にとって少々苦痛の種でもありました。しかしながら、そのラブレターもこれからはもう永久に届かないものとなりました。

 本来なら、陣内先生は当農学部の学部長になられる方であったと思っています。当時、評議員を務める陣内先生の発言、提言は鋭く的を得たものであり、多くの農学部教員を納得させるに十分なものでした。しかしながら、学部長選挙前に体調をこわされ、残念ながら陣内農学部長はついに実現する事はなかったわけです。もしお元気であったなら、陣内先生は農学部長としてのリーダーシップをいかんなく発揮され、農学部の方向性ももっと明確になっていたのではないかと、今でも悔しく残念に思っています。

 陣内先生の九州農文協にかける情熱はなみなみならぬものがありました。しかしながら陣内先生の真骨頂は、何と言っても時の権力に対する毅然とした態度にあったのではないでしょうか。自分の信念と考えにもとづいて、時の行政や農協関係者に対しても、すがすがしいばかりの毅然とした態度で臨んでいました。今の若い研究者からみれば、それはきっと教条的で頑固に映ったのかもしれませんが、私はいつも心の底から拍手を送っておりました。戦後の農経学者の中には、近藤康男、菱沼達也、山田龍雄、美土路達雄、吉田寛一先生など、骨太で腰の据わった方々がおられたものでしたが、今は見る影もなく、陣内先生がその流れの最後の学者ではないかと思います。何か一抹の寂しさが私の胸の中をよぎります。

 八月一七日に開かれた陣内義人先生追悼セミナーで、陣内メモは私宛だけではなく、多くの関係者にも届いていたこと、また陣内先生が郷土の佐賀をこよなく愛されていたことを初めて実感し、一一年間におよぶ鹿児島生活の重みを改めて感じました。

それでは陣内先生、そして陣内ラブレター、永久にさよなら。

(二〇一五年一月二六日)

田舎は寂しい?