エッセイ

いただきます

狂牛病騒ぎに思う

憲法第九条

合鴨が唱歌「故郷」の再現をめざす

最後の初一念

大学を去って2年

地道な合鴨の里づくり

 竹子の山里に移り住んで早や8年の歳月が流れました。もちろん入手した田んぼ6反ではさっそく合鴨で稲作を始めましたが、すぐに地域では仲間が増えて、翌年には竹子合鴨稲作倶楽部が出来、皆で取り組んできました。倶楽部の活動は毎春の合鴨ヒナの共同購入と水田引き上げの合鴨を共同出荷すること、そして反省会を兼ねた楽しい忘年会でした。このようなささやかな活動をすでに8年間地道に続けています。倶楽部の会員は現在15名です。この間私の合鴨水田も約1町歩に増えました。

 さらにうれしいことには今年から、合鴨稲作を始めた方がさらに3人増えました。この3人の方は私たちが勧めたのではなく、「自分たちもやってみたい」と自発的に始められたのです。竹子地区の国道沿いの水田にはあちこちに緑か青いネットを張った合鴨水田が目にとまるようになりました。この様子では竹子はいずれ合鴨ロードとか合鴨の里と呼ばれるようになるかもしれません。

 また地元の小さな竹子小学校では学習田を父兄から借りて合鴨稲作による命の学習を10数年来続けてきております。毎年秋になると、子供たちは合鴨で作ったもち米をついて食べるとともに合鴨もつぶして食べています。合鴨を食べるかどうかでは子供たちの間でもめるようですが、根気強く議論を続け、毎年食べることで決着がついています。子供たちのための合鴨ヒナは毎年私の育てた合鴨ヒナを提供していますが、水田に放鳥する時期が来たら、小学校から歩いて約3km離れた私の農園まで子供たちは全員でリヤカーを引いて引き取りにきてくれます。もちろんモミの塩水選、温湯消毒のやり方や合鴨の処理と料理について、地域の合鴨農家の人たちと学校へ出かけて毎年教えています。かわいい子供たちの笑顔を見て私も元気の出るひとときでもあります。

 またこんな愉快な話もあります。当時、竹子小学校に赴任してきた女校長先生が子供たちと毎年合鴨稲作に取り組むうちに、すっかり合鴨ファンとなり、実家で郵便局に勤めながら水田で米作りをする御主人を誘惑し、とうとう合鴨稲作を始めたのです。退職後はもちろん御本人も郷里に帰り、ご主人と一緒に合鴨稲作を始めました。

 会員の皆様の地域ではいかがでしょうか。手間のかかる合鴨稲作が簡単に地域で広がるとは思いませんが、合鴨を軸に人間と人間の関係性を大切にしていけば、必ず広がっていくのではないかと思っています。「グローバルに考えローカルに行動する(グローカルという造語もある)」というステキな言葉もありますように、考えるだけではなくもっと足元の身近なことにも目をむけ行動しようではありませんか。

鳥インフルエンザをめぐる風潮に一言

追悼ー陣内義人先生からのラブレター

田舎は寂しい?