エッセイ

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合鴨が唱歌「故郷」の再現をめざす

 昭和二〇年代の小学校の頃教わった文部省唱歌「故郷」は、私にとって忘れることの出来ない懐かしい時代の歌です。その後、昭和四〇年代始め、大学院に入った頃、私の恩師がコンパの最後に、みんなを指揮して必ず歌ったのも、この「故郷」でした。しかしながら昭和五〇年代に入ると、私はぷっつりとこの歌を歌わなくなってしまいました。それはこの歌の中に描かれている風景は、すでにわが国の田園には残っていなかったからです。「兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川」はもう遠い遠い世界の事となってしまいました。

 私が合鴨農法を始めた究極の目的は、農薬を使わない稲作農法によって、もう一度日本の田園に、オタマジャクシ、蛙、小鮒、ドジョウ、ゲンゴロウ、トンボなどの生き物たちが帰ってくる風景を再現したいことにありました。もう一度、唱歌「故郷」を歌いたいと思ったからです。子供たちにもぜひもう一度歌わせたいからです。

 農薬を一切使用しない合鴨農法の登場によって、確かにその可能性が示唆されるようになりましたが、それを行う農家は地域ではまだ点の存在にしか過ぎず、地域まるごとで無農薬農法を実現しない限りは、実際には環境は戻ってこないのです。もっと理想を言えば、川の最上流域から無農薬農法を実現できない限り、その流域全体の環境復元は不可能なこととなります。しかしそのような世界はわが国の何処にも存在しなかったのです。

 ある懇親会の席上知り合った鹿児島県環境技術協会の田中健次郎さんに、「合鴨農法によって環境を復元したい」という私の思いを語ると、「私も全く同じ事を考えている」という話に、二人は意気投合してしまいました。数日後、田中さんより県内の溝辺町の網掛川源流域に、この話にぴったりの所があるという電話に私の心は躍りました。さっそく現地に赴き、有機農業に目覚める生産農家グループと対面しました。まだ日本の原風景が残る竹子地区の田園風景を眺めながら、一路網掛川の源流をめざしました。

 以上のようないきさつから、鹿児島大学合同プロジェクト「網掛川流域環境共生プロジェクト」構想が誕生したわけです。しかしながら農家にとっては環境復元だけでは生活は保障されません。農家の生活の安定を前提とした環境復元をめざすことが何よりも大切です。そのためこのプロジェクトでは、環境復元と合わせて、地産地消、学校給食など収穫された無農薬農産物の地域流通の確立を目指します。また永続的な農家の発展のため次世代教育のあり方も探求します。

 竹子地区でのある飲み方の席上、私の「故郷」への思いの話をしたところ、その夜の宴の締めは、皆で「故郷」を歌おうということになりました。歌いながら涙をためるお年よりの姿を見て、このプロジェクトのスローガンは「故郷」だと閃きました。

最後の初一念

大学を去って2年

地道な合鴨の里づくり

鳥インフルエンザをめぐる風潮に一言

追悼ー陣内義人先生からのラブレター

田舎は寂しい?