エッセイ

いただきます

 大学に勤めていた頃、講義の冒頭で学生諸君に「いただきます」について必ず質問することにしていた。質問の結果、まず食事の前に「いただきます」と手を合わせて食べる学生は全体の3割くらい。その3割のうち「いただきます」の意味を「両親や食事を作った人に感謝する」と答えた学生が圧倒的であった。

 そもそも「いただきます」が仏教用語であり、「他の命を今日も感謝していただきます」と理解する若い人が圧倒的に少なくなっていることに唖然とする。このことは両親や祖父母からも「いただきます」の教えを受けていないのであり、その意味では現代の若者に限らず大人たちも忘れてしまっていることになるのであろう。

 自然界は食物連鎖で成り立ち、お米、パン、野菜、果物、魚、肉、卵、ミルクなどすべてに命がある。そこには命の循環があり、その頂点に人間が立っている。生きることは「他の命」を毎日いただくことであり、1日1日を行き続ける程に、たくさんの他の命を背負っていくことを意味している。こう考えるともう自分ひとりの命ではない。他の人の命はもとより、自分自身の命も大切にしなければならないことに気づく。

 「いただきます」を英訳することは難しく、他国語にはない日本独特の言葉であり、日本人が誇れる伝統的な食の文化を意味している。ついでに言えば、食後の「ごちそうさま」も同様であり、食事の前後に、「いただきます」と「ごちそうさま」と手を合わせる食文化は美しい日本人の姿でもある。

 お金さえあれば、スーパーで食材を買い、レストランで食事が出来、そして膨大な量の食べ残しをするようになった今日では、食べものに命があることを多くの日本人が忘れ去ってしまったのであろうか。「命を育み命をいただく」とする「食と農」の本質を今一度問わなければならない時代に入ったのかもしれない。

 もし日本の家庭や学校教育の中に、「いただきます」の教育が厳然と生き続けているならば、最近の信じられないような、他の命を忘れたおぞましい殺人事件も起きないのではないかと考える今日この頃である。

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